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究極のシンメトリー フラーレン発見物語
/白揚社


炭素第三の同素体 フラーレンの化学/学会出版センター


      最終更新日2002/10/17
 

  
イントロダクション
発見に至るまでの物語
フラーレンの科学的性質
フラーレン化学: 金属内包/化学修飾/C60のポリマーの世界
応用例 抗エイズ剤

 
■フラーレン
 - フラーレン発見までのドラマ


 はじめてバッキーボールが人工的に生成されたクラスター分子線をイメージしたもの。

 超新星爆発と似た環境を再現できるということで、ハロルド・クロトー、リチャード・スモリーらによって、この実験が行われた。


いまさら炭素に面白い発見があるはずない…

 「イントロダクション」の部分でも触れたように、フラーレンの発見は、ほとんど革命にも等しい衝撃を当時の炭素化学の専門家に与えた。当時の専門家の多くは、サッカーボール型をしたフラーレンの存在をすぐに受け入れることができなかった。しかし当時の事情を考えれば、それも無理ないことだったといえるかもしれない。

 当時、炭素のとり得る安定状態として知られていたのは、
ダイヤモンドグラファイトだけだった。あとは、安定状態ではないが、炭(チャーコール)のように、特定の結晶構造をとらないアモルファスが知られていた(「アモルファス・ポリシリコン」などを参照)。

 ともかく炭素は有機化学をはじめ、ずっと長い間研究されてきた元素であったし、今さら面白い発見があるはずがないと考えられていたのだ。



宇宙空間からやってきた炭素分子

 フラーレン発見のきっかけは、偶然に訪れた。フラーレンの発見者の一人で知られているハロルド・クロトーは、80年代はじめ、星間分子についての研究をしていた。

 以前から宇宙空間には、ある特異な吸収スペクトルおよび発光スペクトルを示す分子が存在していることが知られていた。クロトーはこの星間分子の正体を追っており、そのスペクトルは宇宙空間に存在するある種の炭素が関係しているのではないかと考えていた。そして、その炭素分子は超新星の爆発の際に誕生したのではないかと推論するようになっていた。

 ただし、当時クロトーは、その炭素分子がフラーレンだとは考えてはいなかった。むしろ変わった形の鎖状の炭素分子を想定していた。

 そこでクロトーは、84年にテキサス州ライス大学のリチャード・スモーリーの研究室を訪れた。スモーリーの研究室では以前から、「
レーザー蒸発クラスター分子線装置」と呼ばれる装置で実験を行っていた。これはシリコンや様々な金属に、強力なレーザー光線を当てて高圧のガスで吹き飛ばすことで、金属クラスター(金属原子100個程度の集合)を生成する装置である。



 クロトーは、この装置を使ってグラファイトをレーザー光線で照射すれば、人工的に超新星爆発と似た環境を作り出すことができ、星間分子と同じ炭素分子を生成することができるかもしれないと考えていた。



C60の質量スペクトルの解釈

 そうして得られた実験結果は、クロトーの予測しないものだった。その装置で生成した炭素分子の質量スペクトルには、なぜかC60が他の炭素分子と比べて多量に含まれていたのだ。

 これはC60が特に安定な特別な構造をしていることを示している。クロトーの考えていた鎖状の炭素分子では、C60だけが安定だという事実を説明することはできなかった。

 フラーレン発見者であるクロトー、スモーリー、カールの三人もはじめのうちは、このC60がサッカーボール型だとは考えていなかった。

 ところがC60の正体について思考錯誤しているときに、偉大な建築家バックミンスターフラーのジオデシックドームに刺激を受けた三人は、このC60がサッカーボール型ではないかと閃いたのだ。ジオデシックドームは、力の分散した骨格をもつ力学的に安定な巨大なドームである。

 こうして三人はいくつかの科学的根拠とともにサッカーボール型の炭素分子の存在を論文に発表したが、当時の炭素化学の専門家にはまったく受け入れられなかった。当時の科学者にとって、サッカーボール型のように三次元的に閉じた分子などというものはほとんど考えられないことだったのだ。C60という分子が安定だということは認めても、それがサッカーボール型でなければならない理由は存在しないと反論したのだ。

 実際、三人の発表した論文は、C60がサッカーボールである理由となるようなデータがほとんどなかったのだ。サッカーボール型分子の考えに否定的だった当時の専門家たちを納得させるためには、分光測定による証拠などが必要に思われていた。

 ところが、分光測定は対象試料が多量にあるときでないと、うまく測定を行うことができない。当時得られたフラーレンの量では分光測定に足りなかったのだ。結局、C60がサッカーボール型かどうかは、C60の大量生成方法が見つかるのを待つより他になかったのだ。



C60が大量に生成した

 スモーリーらの研究チームなどが中心となって、先ほどのレーザークラスター装置のような高度で最先端の機器を用いてC60の大量生成を試みていたがうまく行かなかった。

 ところが1990年、アメリカとドイツの研究チームのクレッチマーとハフマンによって、意外な方法でC60が大量に生成したのだ。その方法とは「
抵抗加熱法」というもので、真空容器の中で炭素棒を抵抗加熱して蒸発させるという、非常に単純で容易なものだった。このガラス容器の内壁面に付着したススに、C60が約10%ほど含まれていた。またこのススを有機溶媒に溶かすことで、C60と他の炭素分子を分離する方法も見つかった。

 これによってC60が大量(とはいっても、ミリグラム単位で、実験には十分な程度というぐらいですが)に得られるようになった。(もっと多量に得るためには、これと似た「
アーク放電法」を使う。)



 こうして、C60について分光測定が行われた。特にその中でもNMRスペクトルがC60の構造の鍵を握ると考えられていました。もしC60の構造が対称性の優れたサッカーボール型なら、分子を構成する60個の炭素原子は、どれをとっても同じ化学環境にある。そうなるとNMRスペクトルは
強い一本ピークだけが現れるはずだからだ。

 実験によって得られたNMRスペクトルは、ほぼ満足の行く一本ピークだった。こうしてC60の構造はサッカーボール型でほとんど疑いの余地がなくなった。



いくつか重なった偶然の出会いと、それを見逃さない好奇心

 こうして見てみると、サッカーボール型のC60の発見に至るまで、実に多くの偶然が重なっていることに驚かされる(上の文章で触れた偶然以外にもいくつかあります)。少なくとも発見のきっかけは偶然やってくる。しかし、発見できたかどうかは単なる運の問題とは言いきれない。

 当時のスス化学の専門家のように、炭素の形態はダイヤモンドとグラファイトだけだととらわれていては、C60を斬新なサッカーボール型だと考えることはできなかっただろう。それに金属クラスターは注目されており、クロトーやスモーリーたちと同じ内容の実験をそれ以前に行った研究チームも存在していた。しかし、そのチームはもっぱらC30以下の低分子に注目していて、C60のピークに気づかなかった(もしくは気にしなかった)のだ。

 大きな科学的発見の裏では必ずこのようなドラマがあるものだが、特にフラーレンの発見はドラマチックなものだった。(興味のわいた方は「究極のシンメトリー フラーレン発見物語/ジム・バゴット著」を読むことをお勧めする。)

 また、フラーレンと同じくカーボンナノチューブも、いくつかの偶然とそれを見逃さない好奇心によって飯島氏に発見されたと言える(こちらは「カーボンナノチューブ」を参考)。



イントロダクション フラーレンの科学的性質