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マクロスケールの常識を覆す分子モーター


---バクテリアの持っている鞭毛の分子モーターを見ると、私たちの知っているモーターとあまりにも似ているのに驚かされます。ところがそれは見かけ上の話に過ぎません。バクテリアたちはそのサイズのために絶えず分子の激しい衝突にさらされ、人工のモーターとはまったく別の「ノイズ」の多い環境に置かれているのですが、それにうまく適応し、さらには利用さえしているのです。---


この記事では
 異様なほど外見が似ている分子モーター
 水素イオンの流れで鞭毛を回転
 パーフェクトストームを巧みに乗り切る分子モーター
 パーフェクトストームさえも巧みに利用する細胞
 「ノイズ」とともに生きるナノワールド
     という内容で構成しています。
 
異様なほど外見が似ている分子モーター


妙に外見が似ている人工のモーターとバクテリアの鞭毛のモーター
 水中のなかで鞭毛を回しながら、バクテリアがエサの方向へ進んでいく様子は、なんとなく人工的な潜水艦を思わせます。

 そこで、もう少し近づいてバクテリアの鞭毛の回転部の構造を眺めてみると、予想以上に外見が人工的なモーターに似ていることに驚かされます。(二つのモーターの外見←)

 というのも、細胞内にはさまざまな機能をもった装置がありますが、私たちの知っているマクロな装置と外見や仕組みが本当に似ているものは意外と少ないからです。例えば、大きい分子を小さい分子に切り刻む「ハサミ」と表現される分解酵素は、外見も仕組みも私たちの知っているハサミとはまったく別物です。タンパク質「工場」、「発電所」などと表現されるリボゾームやミトコンドリアも、私たちの認識している工場とはずいぶん違うものです。

 そう考えてみると、むしろ、鞭毛の分子モーターというものが、異様な存在にも思えてきます。外見はそっくりに見えますが、この分子モーターは私たちが知っているようなモーターと同じような仕組みで動いているのでしょうか?何かこれについて見落としていることがあるのではないでしょうか?


 まず、いくらなんでもこの分子モーターが、人工のモーターと同じように、電気を流して磁場を作りその反発力を利用して回転しているなどと考える人はいないでしょう。

 おそらく柔軟な細胞のことだから、身の回りにたくさん存在しているものをエネルギー源として利用しているだろうという予測がつきます。そこで、生物のエネルギー「通貨」といわれているATP(アデノシン酸リン酸)をエネルギー源に挙げるかもしれません。

 確かに鞭毛の運動にATPも関わっていますが、全体としてみれば分子モーターの回転には、もっと別の要素が重要になっているのです。

 そこで、数マイクロ程度の小さなバクテリアがおかれている環境について注目してみましょう。バクテリアくらいのスケールの世界では、私たちにとっては何ともない水や気体分子が、すごい勢いで絶えず飛び回って衝突してきます。こういった粒子はまったくでたらめに飛び回っていて、人工のモーターにとってみれば「ノイズ」とでもいうべき存在なのでしょうが、実はこれが鞭毛の運動において重要な役割を担っているのです。むしろ、この無秩序があるからこそ、バクテリアの鞭毛は回転することができるといえるかもしれません。ノイズはできる限り排除しよう人工モーターとは対照的といえるでしょう。

 そこで今回は、外見は似ていますが、人工のモーターと分子モーターがどれほど違うものかということを確認してみましょう。

 バクテリアの鞭毛が人工のモーターと同じような仕組みで動いていると思っていた人にとっては、その期待を大きく裏切られることになることでしょう。




水素イオンの流れで鞭毛を回転

 まずはじめに、何をエネルギー源にしてどのように鞭毛を回転させるのかを確かめてみましょう。


拡大図を見る

細かく見ると意外と複雑な鞭毛の分子モーターの構造。

 鞭毛の分子モーターは、図にあるように三つの部分に分けることができます。細胞壁に埋め込まれているロータリー部分、外に長く突き出ているらせん状の構造をした鞭毛部分、そしてその二つをつなぐ柔軟なフック部分です。このすべての部品は、生物にとって身近な物質であるタンパク質からつくられています。

 この分子モーターの構造ですが、私たちの知っているモーターと外見がほとんど同じなので、どこがモーターの軸で、どこがプロペラに対応しているかはすぐに分かるでしょう。Flg B,C,Fあたりの部分がモーター軸に対応し、Fil Cの部分がプロペラにあたります。

 では、この構造からどのように駆動力を得るのでしょうか?
 

 細胞内外では、ナトリウムイオン(Na+)やカリウムイオン(K+)の濃度に差があることは、医療などでよく知られたことです。鞭毛の分子モーターは、こういったイオン濃度の差を利用してモーターの駆動力を作り出すのです。

 細胞内では、外側よりも水素イオン(プロトン)の濃度が低くされています。そのため電位差が生じ、細胞内外をつなぐ通路さえあれば、水素イオンは自然と流れ込もうとします。

 この分子モーターのロータリー部分には、水素イオンが流れる通路部分があり、ここから水素イオンが流れ込むことができます。そうしてMot Aの部分を通るとき、Mot Aの形が変ったり動いたりして、その力がモーター軸部分に伝えられます。こうしてあたかも水流を利用している水車のように、水素イオンの流れを利用してシャフトを回転させることができます。

 また、バクテリアの細胞壁には、この鞭毛の他にも分子モーターが存在しています。それはATP合成酵素の分子モーターで、鞭毛を動かす代わりにATPを合成したりしています。

 こうしてつくったATPなどを分解してエネルギーを取り出すことで、筋肉の収縮と同じような原理で、鞭毛部分を曲げ伸ばしして進む方向を変更したりしています。これが、鞭毛の分子モーターのだいたいの構造です。


 こうして水素イオンを取り込んで鞭毛を回転させ、またATPもつくっているわけですが、このままでは細胞内の水素イオン濃度が高くなって、すぐにうまくいかなくなってしまいます。そのため、水素イオンを外に排出するポンプ役の装置がバクテリアの細胞壁に存在してます。実はこのポンプの仕組みは驚くべきほど素晴らしい仕組みになっているのですが、その説明は話の都合から後回しにして、先にバクテリアが鞭毛を使ってどのように進んでいるかについて見てみましょう。





パーフェクトストームを巧みに乗り切る分子モーター

 バクテリアには、化学物質の水溶液中の濃度の違い(濃度勾配)を判断して、エサ(栄養素)のある方向や毒素のある方向を見つける能力があります。そして先ほどの鞭毛のしなりや回転運動によって、エサの方向に進んだり毒素から逃げたりします。

 ところがその様子ときたら、潜水艦が目的の方向を決めて直進する場合と異なり、3次元空間内でジグザグに動いた結果、なんとかエサの場所にたどり着いたといった感じなのです。これはどうしてでしょうか?

 その理由は、大きく分けて二つあります。1つ目はランダムで水分子が衝突してくるという、バクテリアのおかれた環境によるものです。そして2つ目は、バクテリア自身が分子モーターの回転方法を変えることによるものです。


 まず、1つ目の理由についてですが、これは有名な「ブラウン運動」というものです。小さなカケラを水の上に浮かして顕微鏡でのぞいたとき、そのカケラが酔っ払いのように不規則なジグザグ運動をしている現象のことです。(Javaアプレットによるブラウン運動のシミュレーション↓)
http://www.phys.virginia.edu/classes/109N/more_stuff/Applets/brownian/brownian.html

 このカケラと同じように、バクテリアも水分子のランダムで激しい衝突に大きな影響を受けます。例えば大腸菌(E-coli)の場合、1秒間に30°ほど進行方向が変えられてしまうということが、最近の実験データから分かっています。


 次に2つ目の理由について見てみましょう。大腸菌の鞭毛の回転には、2つのモードがあります。それは、細胞の外側から見て、時計回りと反時計回りのモードです。

 この二つの回転モードは単に、回転の向きが異なるだけではありません。1匹の大腸菌には、たいてい数本の鞭毛があるのですが、回転モードによってこの鞭毛の揃い具合が変わってくるのです。

 具体的には、反時計回りのときに数本の鞭毛はみな平行な向きで回転するため、しっかりと前に進むことができます。ところが時計回りのときは数本の鞭毛の向きがみなバラバラで回転するため、結果としてあまり前へ進むことができません。

 なぜ、この二つの回転モードに切り替える必要があるのかは、未だにはっきり分かっていませんが、ブラウン運動によって進む方向をむちゃくちゃにされてしまったことに対して、いくらか舵取りで補正することに利用されているのだと考えられています。


 さて、ここまできて興味深い疑問が湧いてきます。大腸菌はこの嵐の中で、どのように目的地までの位置関係を把握しているのでしょうか?

 実のところ大腸菌は、目的地と自分の位置関係を空間的に把握しているのではなく、単に、水分子の衝突で方向が変えられてしまう度に、化学物質の濃度の高い方向を探してその方向へ前進しているだけに過ぎません。


 このことの意義についてはいろいろと議論されていますが、例えば自分がプールで泳ぐときと海で泳ぐときとの違いを考えてみてください。

 プールでは波がないために、自分と目的地との位置関係を把握して、まっすぐ進むことは簡単でしょう。ところが海の場合、たった500メートル先の小島まで泳いでいく場合でも、頭の中でだけ位置関係を把握しながら泳いでいくと、波に流されて思わぬ方向へたどり着いてしまうということがあります。だから、何度か頭を水から挙げて島の方向を確認しながら進んでいくほうが、泳ぎとしては遅いかもしれませんが、確実に目的地にたどり着くことができるでしょう。

 バクテリアたちがおかれている環境は、静かなプールというよりも、ブラウン運動のために波の高い海のようなものなので、その都度方向を把握して進んでいく方が有利なのかもしれません。良くも悪くも大腸菌のような単純な構造の生物には、この方法が最も効率的なのでしょう。それに、方向が変わったことを空間的に把握しながら進むためには、もっと繊細な神経系が必要になり、もはやバクテリアのような原始的な生物のままではいられなかったでしょう。

 このように、バクテリアたちは、ブラウン運動が支配する激しい嵐のなかで、上手に分子モーターを操って目的の方向へと進んでいくのです。




パーフェクトストームさえも巧みに利用する細胞

 さて、数μmスケールのバクテリアたちがブラウン運動のような「ノイズ」に大きく支配されていることは疑いようのないことですが、バクテリアたちもいいようにされているだけではありません。実はこういったランダムなノイズも上手に利用しているのです。

 生体内でランダムなブラウン運動をうまく利用しているものに、先ほど省略したイオンポンプがあります。イオンポンプで水素イオンを吐き出すということはイオン濃度差に逆らって行っている仕事なので、それなりのエネルギーが必要になるはずです。ただ、このときに水素イオンのランダムな運動から、秩序だった方向をもつ水素イオンの流れを取り出すという巧妙なトリックを使っているのです。

 そういった発想を「ブラウン・ラチェット(Brownian ratchet)」と言います。その発想の根底にあるのは、非対称な構造と二つのランダムな運動の組み合わせです。ランダムな運動とランダムな運動を組み合わせて、秩序だった運動を取り出すことができるのですが、どうも直感的には受け入れにくいものでしょう。この議論は、なかなかとっつきにくいところがあるので、直感的に理解できるアナロジーを考えてみましょう。



拡大図を見る

「ノコギリ刃形の砂浜とせわしない魚のアナロジー」モデル図

 ノコギリの刃(非対称な構造)のようなかたちをした砂浜に、不規則な周期で打ち寄せる波が水位を上下させている(これをランダムな運動Aとする)情景を思い浮かべてください。そこには一匹の魚がいて、水があるときには左右にせわしなく泳ぎ回り、水がひいて陸にとり残されてしまっても、左右にせわしなく飛び跳ねるとしましょう。水中、陸上ともに、左右のどちらに進む確立も等しいものとします。(これをランダムな運動Bとする)それでは、図とあわせてみていきましょう。


 1. はじめは水位が高いため、左右へ自由に動き回っています。

 2. ところが水位が下がったために、魚はノコギリ刃形の砂浜に取り残されてしまいます。このとき、ゆるい坂の方に取り残されたとしましょう。

 3. ここで魚は左右のどちらかに等しい確率で何度もジャンプするのですが、坂が左へ傾いているため、右より左へ進む距離の方が長くなり、全体で平均して魚は左に動いていきます。

 4. このあと水位の上下が何回か繰り返されます。そしていつかは、魚は坂と坂のあいだのくぼみに落ち着くことになります。この坂を魚がジャンプして飛び越えることはできません。

 5,6. しかし、ここで水位が上昇すれば、魚は左右に等しい割合で進むことができるので、次に水がひたとき急な坂を登ってしまっている可能性が出てきます。こうして、いったん急な坂を登ってしまうと、また1から同じことを繰り返すことになります。ときどき、急な坂から転げ落ち4の状態に戻ることがありますが、あくまでそれは確率的な話で、全体として平均すれば左へ進んでいくことになります。
(下のページで今の過程と同じことをJavaアプレットで実際にシミュレーションすることができる↓。)
http://monet.physik.unibas.ch/~elmer/bm/


 さて、ここでもう一度、はじめの条件を思い出してみましょう。重要なのは、この思考実験で利用されたのが、非対称な構造と二つのランダムな運動の組み合わせだけだということです。しかし、この三つの要素のうち、どれか一つでもかけたら、平均して魚は右にも左にも進むことはできないでしょう。

 このことを考慮しながら、イオンポンプの構造を見てみましょう。まず、イオンポンプで吐き出したい水素イオンは、先ほどのせわしない魚に対応して、細胞内ではランダム運動をしています(ランダムな運動B)。

 イオンポンプの主な構造は、細胞内外をつなぐ通路(イオンチャンネル)からなっています。ここでは、通路の入り口(内側)と出口(外側)とで電位差を生じさせることができる仕組みになっています。また同時に物理的な形も非対称に変わります。これは帯電した水素イオンにとっては坂と同じになり、先ほどのノコギリ刃形の浜辺に対応しています。つまり、これが非対称な構造になります。

 そして、通路内での電位勾配、そして物理的な勾配はランダムで生じさせたり無くしたりしているのですが、これが上下する水位に対応しています。(ランダムな運動A)。管内の電位差を生じさせるのには、ATPを分解したエネルギーが使われています。

 この管の出口にはフタのようなものがついていて普段は閉じているという点では、先ほどの「ノコギリ刃形の砂浜とせわしない魚のアナロジー」と対応しないところもありますが、基本的な原理はやはり同じです。

 こうしてバクテリアたちは、ランダムなブラウン運動さえも利用しているのです。鞭毛のナノモーターは、このイオンポンプがあるからこそ回転することができます。こうして、全体として驚くべきエネルギー効率で、バクテリアたちは鞭毛を回しているのです。




「ノイズ」とともに生きるナノワールド

 はじめに見たときは、人工のモーターと同じに見えた分子モーターも、その内容はずいぶんと違うことが分かったでしょう。バクテリアや細胞が、無秩序なブラウン運動から上手に秩序だった運動を取り出すことができるのは、そのスケールの小ささゆえのものです。つまり、バクテリアたちが扱うエネルギーとランダムな粒子運動のエネルギーの桁がそれほど違わないからです。

 またこのバクテリアたちのように、ブラウン運動を上手に利用した装置は、細胞に非常に多く見ることができます。

 例えば、筋肉細胞のミオシンというタンパク質もブラウン運動を上手に利用していますし、ミトコンドリア内部に普段は折れたたまって縮んでいるタンパク質を引き伸ばしながら引きずり込む構造でも同じようにブラウン運動が利用されていると考えられています。ここ数年の研究で、細胞のさまざまな装置はブラウン運動とうまく共生していることがじょじょに明らかになってきたのです。

 これは現在注目を浴びているナノテクノロジーにも大きな教訓となるのでしょう。ナノテクノロジーの目標をいくつか挙げた場合、体の中に入り込んで病原体やガン細胞などを退治するナノロボットが必ず挙げられますが、このナノロボットもブラウン運動と上手に付き合っていく方法を見出さないことには、まず成功する見込みはないでしょう。こういった分子モーターの仕組みを詳しく調べていくことは、まだまだ先の見えないこのナノテクノロジーの分野で、大きな道しるべとなるのでしょう。

 


        
関連サイト
今回の記事を書くのに参考にしたページを紹介します。

カオスから生体分子モーターへ −日経サイエンス
ブラウン運動を巧みに使う筋肉分子 −日経サイエンス
 今回の話はなにやらこの日経サイエンスの話と似たようなものになってしまったなあ。日経サイエンスには、ファインマンの永久機関の否定や、ミオシンなどのことについて詳しくかかれているので、興味がわいた方はぜひバックナンバーに当たってみてください。

Taming Maxwell's Demon - Scientific American(英語)

Brownian Motor (英語)
 ブラウンラチェットのシミュレーション

Einstein's Explanation of Brownian Motion - AIP(英語)
 ブラウン運動のシミュレーション

Motile Behavior of Bacteria - AIP(英語)
 大腸菌の鞭毛運動について。FactSheetとして使えるほど詳しくかかれています。

Thermodynamics and Kinetics of a Brownian Motor - Science(英語)
 ブラウンラチェットの利用についての詳しい考察。

吉田・久堀研究室 - 東工大資源化学研究所
 国内で分子モーターやシャペロンなどのタンパク質の研究をしています。それにしても、かっこいいホームページです。

Press Release: The 1997 Nobel Prize in Chemistry - Nobel e-museum(英語)
 ATP合成酵素に関しての化学ノーベル賞。分子モーターなども。

NetScience Interview Mail
 慶応理工学部物理学科教授木下一彦さんへのインタビュー。おもにATP合成酵素のサブユニットの分子モーターについて。森山さん編集。


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